「10万個の子宮」と医療ジャーナリズム

日本の医療を報じる大手TVメディアや新聞などが酷いなと思うことはしばしばあります。例えば以前に「インフルエンザで病院に行くのは時代遅れ」という記事を書いて周りの医療者の方は賛同して頂き、中には新たにご自身で書かれて発信されるようなことも続きました。ただそれでもテレビや新聞では「インフルエンザにかかったら速やかに病院へ」の論調が散見されます。

それはある意味仕方のない事だと思っています。商業的には自分の媒体でリスクのあることはしたくないのが道理で、「病院へ」と言っておけばあとは病院の責任で、インフルエンザの罹患率が上昇しようが医療費が上昇しようが媒体にとってはどうでもよく、自身が追求されず、かつ視聴率が取れれば(インフルエンザが過去最高と流せば視聴率が上がるだろうし、医療費が過去最高といえば視聴率はやはり上がるでしょう)一番自媒体にとってベストであるというのも(商業的には)理解できます。だからこそ、まともな議論ができるインターネット媒体が視聴者にとっては面白くなり大手メディアの衰退が如実になってきたことも納得の結果です。

ただ、今回の「子宮頸がんワクチン副作用の嘘」と題せるようなニュースにどこも反応しなかったというのは妙な結果でした。確かに訴訟の中にあるナイーブな話題ではありますが、基礎的な医学的知識や統計的な考察さえできればあとは「医学部教授の嘘?」や「河村たかし市長の欺瞞?」など他のメディアの追随を許さないような権威に立ち向かうニュースを扱えるチャンスでもあったはずです。「副作用で苦しんでいる女性たちがいるから」という論調があるかもしれませんが、逆に言えばワクチンの接種勧奨の差し控えによって苦しんでいる人たちの方が圧倒的多数なはずでこちらを無視する方が(良心的と自称する)媒体としては道理が通らないはずです。(参考:子宮頸がんで子宮を全摘した理系女子が伝えたいこと

複数の仮説が考えられます。どれをとっても大手メディアの将来が危ういと感じますが、大手メディアだけではなく公衆衛生としての医療の問題でもあろうかと思います。

自分の媒体でのミスを認めるわけには行かない(以前は副作用と思われる症状ばかりにフォーカスを当てていた自媒体を晒したくない気持ちはわからなくはないですが、これだと報道媒体としては終わっています。私はマスコミがミスをしてしまうのは専門家でもないのでしょうがないと思っています。新たな発見であの時の治療法は間違いだったと言うのは医療の領域でも往々にしてあるものです。ただ、「我々の報道は間違っていたかもしれない」ぐらいは言えてこそジャーナリズムのような気がします。)
村中璃子氏の主張が理解出来ない(これだとかなり厳しいです。彼女の「主張の正しさ」を理解するのはかなり難しいですが主張自体を理解するのは基礎的な医療知識と統計学がわかれば容易です。少なくとも検証の価値があることが理解出来ないと報道媒体は「ただの拡声器」となり、煩いだけと人から忌避されるようになってしまいます)
村中璃子氏がワクチン会社から何かもらっている(これだと私の心情的にツラいです笑。ただ何かをもらっていたとしても彼女の主張の正しさは変わりません。メッセージ性がガクンと下がりますのでメディアが取り上げなかったのは不思議ではなくなります。彼女ほどの医療ジャーナリストであれば、私が製薬会社の人間であれば積極的に買収を働きかけるとは思いますので可能性は現段階では否定出来ませんし、これが事実であればそのような報道がないということが彼女を追求できるだけの人材が大手メディアにいないということになります。)

「10万個の子宮」が世に出るまでの経緯を見てみましょう。

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2017年11月30日
ジョン・マドックス賞を日本人が受賞したというニュースが「SNS」を駆け巡りました。

ジョン・マドックス賞という馴染みのない賞(ネイチャーの編集長の名を冠した賞といえばへぇーっとなる程度でしょうか、私も知りませんでした。)とはいえ、外国での日本人受賞を盛んに報道する日本メディア(STAP細胞がネイチャーに掲載された際は大いに報道されました)が報道しないのはかなり不思議な現象でした。

彼女は以前からHPVワクチンの副作用は捏造であることを論理的に反論するも、訴訟され、批判の矢面に立たされますが一つ一つ丁寧にワクチン副作用を証明する論文の不備や捏造を明らかにしていき受賞に至りました。そして受賞を機にその経緯が記述されている「10万個の子宮」という本が発刊されたわけですが、この本の発刊の経緯もまた奇妙です。

「昨年7月には書き終えていた子宮頸がんワクチン問題に関する私の本は、いったんは版元もタイトルも刊行日も決まり、表紙のデザインから著者近影の撮影まで終わっていた。なのに、刊行予定日の2週間前に「刊行見合わせ」となった。見合わせる期間は不明だと言い、担当者は連絡が取れなくなった。」村中璃子氏のnoteより(https://note.mu/rikomuranaka/n/n532783cfb5d0)

この後に出版社を探しても「うちでは出せない」と言われ、9番目に打診した出版社からようやく出版出来た本だと著者の村中璃子氏は述懐しています。

彼女の論点は明快です。訴訟の対象となっている点をのぞけば「うちで出させてください」と言ってもおかしくはないと思いますが以下に並べてみます。

・子宮頸がんによって毎年1万個の子宮が摘出されている。3000人が命を落とす。
・HPVワクチンは子宮頸がんになるリスクを減らすが、報道によって接種率は70%→1%に激減した。
・訴訟がある10年間は積極推奨を再開出来ないだろうから、毎年1万個×10年=10万個の子宮が摘出されていく。
・子宮頸がんワクチンの副作用はワクチンを打っていない人たちにも同様に見られる。
・子宮頸がんワクチンの副作用と発表された脳の異変は捏造されたものだった。

最初の3つの子宮頸がんについての数は多少センセーショナルにした部分があると思いますが許容の範囲内だと思います(子宮頸がん診断数=子宮摘出数でもないですし、HPVワクチンによって防げるのは7割程度であるのでワクチン再開されても子宮摘出数が全てなくなる訳でもないですが、人にインパクトを与える重要性から許容される表現だと思います)

ただ太字の2つは大手メディアにとってもかなり興味深いテーマだと思いますが、やはり無視されています。

「誰にでもある症状に名前をつければ副作用になる」というようなテーマを探せば日常のワイドショーを埋めるだけのものが出てきそうですし、ちょっとした科学番組でも扱いやすそうです。
「自分の正しさを証明するために間違いを犯す偉い人」というのはワイドショーとしてはかなり視聴率を稼げそうな話題でもあります。

また東京都の「築地」「豊洲」の議論の際に有名なフレーズとなった「不作為の責任」もまたメディアが扱いやすそうなテーマでもあるはずですが、ワクチン接種勧奨を止めたままで感染が蔓延していくことに責任はないのかということも報道は見られません。

副作用のある人に寄り添う形で報道しないというのは1つの立場ではあるかもしれません。ただ副作用(と思われる症状)に苦しむ人に対しては(「ワクチンのせいじゃない」と言うのはナンセンスですが)「それはもしかすると別の原因があるかもしれない」「ちゃんとした原因がわかれば治療法があるかもしれない」とアプローチするのが良心的な報道と思われます。

ここまで見てくると、大手メディアには医療を論じるだけの素地(人材と知識とコンセンサス)がないだけなのではないかと勘ぐってしまいます。

賞を受けたから彼女は偉い、HPVワクチンは完全無欠というのではなく(他のワクチンよりも痛みの強いワクチンであることは知られていて、軽度の失神も含めた重篤な副作用は0.05%はある)て、少なくともこのHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を議論の俎上に載せられないのはメディアの実力不足に他ならず、このまま大手メディアの衰退は止まらないのだろうなと感じた次第です。また大手メディアに頼らない公衆衛生のアプローチを考える必要性も感じます。

逆に言えばこの「10万個の子宮」は医療リテラシーを身につける良い教材となる本だと思いますので以下にお薦めしておきます。

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